日本大学理工学部科学技術史料センター
八十島義之助

八十島義之助


人物年譜
 

八十島義之助 文庫

 八十島博士は、戦後復興から高度成長、そして安定均衡発展へという激動の時代に交通基盤をはじめとする数多くの社会基盤整備に係わる教育・研究とその成果の実践を一貫して指導してきた。
 八十島は、大正8(1919)年8月27日に東京で生まれ、東京帝国大学土木工学科を卒業後、翌昭和17(1942)年1月には東京帝国大学の常勤講師に採用されたが直ぐに陸軍兵器学校幹部候補生として入隊。
 昭和20(1945)年9月に招集解除で大学に戻り、昭和55(1980)年4月の定年による退官までの38年間にわたって土木計画学はじめ多くの学問領域の基礎を築き、退官後名誉教授。この間、昭和38(1963)年10月から昭和55(1980)年3月まで日本大学理工学部の大学院土木工学専攻・交通土木工学専攻の非常勤講師として指導し、次いで昭和57(1982)年4月に埼玉大学工学部長、昭和61(1986)年12月に帝京技術科学大学長を務め、各種政府委員や公益法人などを通して国土審議会会長を初め日本学術会議第5部長・副会長、土木学会会長、国際交通安全学会会長、鉄道総合技術研究所会長を歴任し、また創成期の世界交通学会では理事として基礎を築いた。さらに、運輸大臣交通文化賞、紫綬褒章、外務大臣表彰、土木学会功績賞、環境庁長官表彰、勲二等旭日重光章、従三位銀杯三号、などさまざまな栄典、賞などが送られている。
 八十島は大学での土木工学、特に鉄道工学を中心とする交通工学、交通計画、景観工学、国土計画などの研究成果を世に問い、本州四国連絡橋上で世界初の高速列車走行を実現したのをはじめ地下鉄などの軌道系公共交通機関の線路網設計の問題、道路計画や総合的な都市交通体系の理論的・実証的問題に取り組み、その成果は東京をはじめとする多くの都市における交通計画策定に大きく貢献した。
 このような八十島の広範な活動の証が膨大な史資料料として遺され、日本大学理工学部に寄贈された。今後、社会資本の形成過程の研究資産としてまた情報資産として選別・整理のうえ公共政策や社会資本形成過程に興味を持つ多くの学生や研究者の要求に応えうる貴重な史資料となるものである。
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