日本大学理工学部科学技術史料センター
吉川勝秀

吉川勝秀


人物年譜
 

吉川勝秀 文庫

 吉川勝秀文庫は2011(平成23)年に本学理工学部社会交通工学科(現・交通システム工学科)在職中にご逝去された、故・吉川勝秀先生の遺された河川分野の貴重なる資料を奥さまの御厚意を通して当センターが受贈したものである。
 吉川勝秀先生は、1951(昭和26)年に高知県に生まれ、幼いころから四万十川で遊び、地元地域のさまざまな川を友に日々を過ごした少年期であった。こうした生い立ちもあり、東京工業大学大学院土木工学専攻を修了後、1976(昭和51)年に旧建設省に入省し、河川行政の第一線の場に立つ。旧建設省・国土交通省時代は、土木研究所、関東地方建設局、本省河川局および国土技術政策総合研究所等における要職を歴任し、いわゆる現場から研究、政策立案と、総合的に河川行政に関わり続けてきた。その後も、財団法人リバーフロント整備センター(現・公益財団法人リバーフロント研究所)部長を経て、本学社会交通工学科(現・交通システム工学科)の教授として「水環境システム研究室」を立ち上げる。これらの職歴を通して、国内各地の河川整備実績はもとより、タイ国河川洪水対策および河川研究論文・著作など、多くの河川関連業績を残し、一連の成果は、叙勲(瑞宝小綬章)として高く評価されるに至っている。
 吉川勝秀先生が河川行政で活躍した1970年代後半から2000年代は、河川行政にとって激動の時代であった。1970年代は、高度成長と人口増加を背景に、河川周辺部にも宅地整備が進行したことに伴い「治水整備」が求められ、やがて量から質の時代が叫ばれる安定成長期(1980年代)には「河川環境整備」が、バブル期(1980年代後半)には観光ブームも相まって、地域活性化の起爆剤として河川観光はもちろんのこと、住空間の付加価値として河川と背後市街地との一体的整備が注目されるなど「川まちづくり」という新たなニーズの高まりへと移行し、現在に至っている。このように、戦後日本の激動の時代において、さまざまに変容してきた「河川と人とのかかわり」を知る意味において、吉川勝秀先生に関連する治水事業・河川整備・河川研究等に関わる資料を辿ることは大きな意義を有している。
 この証左として、当センターの「吉川勝秀文庫」の受け入れ鑑定評価は次の通りである。
  • ①吉川勝秀氏の多くの書籍・学術論文において、バックデータとなる資料類が当該書籍とセットで保管されており、これらの推敲プロセスが辿れるという意味で価値がある。
  • ②旧建設省時代のタイ国河川洪水対策資料類は、日本の河川技術者の途上国支援の歴史的証明という意味で高い価値をもつ。
  • ③地方都市の河川整備に関する資料類は、単に河川堤防という構造物のみならず、周辺住民と河川との付き合い方にまで踏み込んだ記述が多数みられ、治水・利水から親水・川まちづくりへと移行する河川整備の転換点を知る上で貴重かつ有用である。
  • ④大学時代のノート類は丁寧な記述となっているため、現在の学生に対して、授業との向き合い方を学ぶ上で有益なものである。
  • ⑤吉川勝秀氏が参画した各種研究会において、自身が研究会のテーマごとに収集した膨大な資料集は、インターネット検索に安易に依存する近年の学生に対して、研究情報検索と研究資料整理術を学ばせる上で貴重かつ有用である。
 このうち、とくに興味深い資料として、学生時代の手書きのノートがあり、講義内容をいかにわかりやすく情報整理するかという意味において、現役学生にぜひ目を通してもらいたい一品である。また、タイ国河川洪水対策資料類は、自ら現場をくまなく踏査し、現地の実態を克明に記録・分析しており、現場主義を徹底する真摯な調査研究態度が垣間見える資料である。さらに、下舘河川事務所時代に「鬼怒川・小貝川博覧会」の開催を祝し、缶ビールの表面に鬼怒川・小貝川の魅力を伝える絵柄をプリントしたものや、自身が門井八郎氏と船村徹氏に作曲を依頼して完成したカラオケテープ「鬼怒川/川よ美しく」なども必見である。
 以上を通して、学生はもとより河川分野に関心の高い専門家や一般の方々に、吉川勝秀先生の人物像と社会的業績について理解を深めていただくとともに、河川研究や河川整備の新たな地平を拓く一助となる文庫として期待されるものである。

(岡田智秀)

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