日本大学理工学部科学技術史料センター
谷藤正三

谷藤正三


人物年譜
 

谷藤正三 文庫

 谷藤正三博士は、道路技術を急速に進歩させなければならない時期に、建設省の要職に就いて、多くの難題を解決した。また、本学部の交通工学科(現・交通システム工学科)の創設に深い関わりを持ち、学科の創設者のひとりとして教鞭もとっている。
 谷藤は、1914(大正3)年1月6日に秋田県元河辺郡に生まれ、1936(昭和11)年に京都帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省採用となり土木技手補として東京府土木部道路課に勤務する。しかし、1940(昭和15)年に陸軍兵科幹部候補生となり召集されている。
 第二次世界大戦後は、赤羽分所所長兼道路研究室長となり、松根油・タール材など荒廃した道路の補修材の研究に当たったが、GHQの輸送路および空港建設に伴う土質調査・輸入舗装材の試験を依頼され、近代道路建設に対する土質・舗装材等技術基準を習得した。
 GHQ使用の重車両の走行と東京の復興資材・食料運搬の過載車両の交通には在来工法では維持補修は不可能であるということに直面し、実験と現場検証を繰り返してついに「路盤に関する土質力学的研究」としてまとめた。この研究を主論文に、1949(昭和24)年11月に京都大学より工学博士の学位を受けた。さらに、翌年には土木学会から技術論文賞を受けた。その後、道路工学の進んだアメリカ事情を目にし、このレベルに追いつくためには、大学教育で技術者を育成することの必要を感じ、帰国後は交通工学科設立のために走りまわった。結局、10年後に非常勤講師を長く勤めた日本大学理工学部に交通工学科を創設することに成功した。一方、1945(昭和20)年以降は、日本大学、山梨大学、京都大学の非常勤講師として高等技術者教育の一端を担った。また、1948(昭和23)年9月には商工省機械試験所兼任商工技官として、東村山市に楕円形2kmの日本で初めての自動車試験走路を設計建設し、車体力学構造・走行機能性の試験研究ができるようにして、今日の自動車製造技術の基礎を確立した。
 1956(昭和31)年以降は関東・中部地建の現場業務に携わり、鋼管の軟弱地盤の橋梁基盤への適用、国道課長として伊勢湾台風後の沿道住民救済に尽力しその後、総理府首都圏整備局事務局長、都市局長、北海道開発庁事務次官と技術官僚としては最高位までのぼりつめた。退官後は、コンサルタント会社を設立し、中近東・南米を始め発展途上国の資源開発に伴う建設事業の開発協力を実施した。
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