日本大学理工学部科学技術史料センター
 

武部健一文庫 資料紹介

 武部健一博士は、京都大学工学部土木工学科を卒業後、特別調達庁、建設省関東地方建設局を経て、日本道路公団に入社され、東名高速道路計画課長、東京建設局長、常任参事などを務められた。日本道路公団では多くの日大の卒業生と仕事をされ、卒業生たちは大いに世話になったと伝えられている。
 武部文庫はご自身からのお申し出により、CST MUSEUMが寄贈を受けたもので、その際、自身が考えられた道路史分類にもとづいて整理が行われていたため、その後、一般的な資料分類と武部博士の分類が併記される形で、文庫資料となっている。
『ワトキンス調査団 名古屋・神戸高速道路調査報告書』
  建設省道路局 1956
ワトキンス調査団 名古屋・神戸高速道路調査報告書 ワトキンス調査団 名古屋・神戸高速道路調査報告書
 ワトキンス調査団は、日本政府の要請により1956(昭和31)年5月に日本を訪れ、80日間にわたって各地の道路事情を調査した。さらに、わが国初の高速道路、名古屋・神戸高速道路の経済的かつ技術的な実現可能性の調査を行った。日本の当時の道路状況を、克明に分析したワトキンス調査団報告書は、日本の計画的な道路整備の原点と位置づけられている。
『名神高速道路 尼崎=栗東』
  日本道路公団 1963.7.15
名神高速道路 尼崎=栗東 名神高速道路 尼崎=栗東
 1956(昭和31)年4月16日に設立された日本道路公団は、ワトキンス調査団報告書を受ける形で名神高速道路の建設を検討し始めた。尼崎-栗東間は日本初の高速道路案件としてプロジェクトが立案され、本高速道路の開通は貨物輸送費の節約のみならず、大きな経済的効果が期待された。しかし、財源が問題であったため世界銀行の貸出が申請され、1960(昭和35)年3月、日本道路公団に対する第一次貸出(4000万ドル)が行われてプロジェクトの推進に寄与し、1963(昭和38)年7月15日に開通式が行われた。本書はこの尼崎-栗東間のプロジェクトの記録をまとめている。
『自動車道路網設定のための調査 第一次調査(昭和35, 36, 37年度実施)中間報告』
  建設省道路局企画課 1963.3
自動車道路網設定のための調査 第一次調査(昭和35,36,37年度実施)中間報告 自動車道路網設定のための調査 第一次調査(昭和35,36,37年度実施)中間報告
 本調査は、全国的な自動車道路網を設定するために必要な基礎的資料を集め、高速自動車国道の予定路線を決定することを目的に実施された。1960(昭和35)年から調査を始めて基礎的な資料を収集し、1961, 1962(昭和36, 37)年には、各地方建設局から提案された自動車道路網基礎原案を輸送時間の短縮、輸送需要の効率的充足、及び建設費から検討を行い、その結果を中間報告として提出した。
 高速自動車道路に対して、輸送需要を最も効率的に充足させることが自動車道路網設定の第一であることから、輸送需要の全国的分布を自動車保有台数の推計を加味してシミュレーションを用いて数量的に把握している。次に、自動車道路網基礎原案を輸送時間の短縮と輸送需要の最も効率的充足から検討し、選別している。その際に地理的条件や既存の国道網の形なども考慮に入れている。さらに、本省で作成した自動車道路網基礎原案を各地方建設局が5万分の1地形図と現地調査によって概略路線を選定し、概算建設費を積算した。その結果をもって、自動車道路網基礎原案を再度検討している。緻密な計算により、東北地方から九州に及ぶ道路網の第1次原案として5案が示されている。