日本大学理工学部科学技術史料センター
 

市川清志 文庫

 市川清志博士は1917(大正6)年5月8日、東京市四谷区(現・東京都新宿区)で生まれた。1941(昭和16)年3月日本大学工学部(現・理工学部)建築学科を卒業したのち、同年4月旧・満州国国務院高等官試補に任ぜられ、同時に大同学院第13期学生となる。11月に大同学院を卒業し、龍江省開拓庁、国務院建築局建築行政処などで勤務したが、敗戦により退官。帰国して1946(昭和21)年6月より東京都建設局都市計画課の嘱託となる。1947(昭和22)年8月に日本大学工学部から助教授として招嘱され、戦後まもなくの日本大学工学部の再建に傾注し、あわせて実社会では数多くの都市計画調査、計画立案の基礎づくりに貢献した。1963(昭和38)年4月に教授となる。
 1961(昭和36)年3月「巨大都市における商業地域の構成について」で日本大学より工学博士の学位を授与される。この頃、商業地の研究を生涯のメインテーマとした。
 市川は都市計画の研究にあたって、都市計画の総合性に驚かず広い視野から眺めることを身につける姿勢を強調し、教壇ではマイクを使わず大声で歩きながら講義をして、「視野を広く持て」と繰り返した。
 学内においては1968(昭和43)年からは学生指導委員長となり、学外においても学校施設基準規格調査会専門委員、中央建築士審査会試験委員、文献委員会委員長、(社)日本建築学会関東支部長、(社)日本建築学会評議員、(社)日本建築学会総務理事、(社)日本建築学会副会長、日中建築技術交流会常務理事(1976年・日中建築技術交流会は日本建築学会の主唱で設立された)、(社)日本都市計画学会評議員などを委嘱されている。
 笠原敏郎博士との共著『建築物法規概説(相模書房)』は1954(昭和29)年から1985(昭和60)年まで改訂・重版を繰り返し、建築法規の教科書として重宝された。ほかにもS.E.サンダースとA.J.ラバックの共著『新都市の形態(技術資料刊行会・1950年)』を高山英華ほかと共訳、建築学大系全般にわたる編集委員を務めながら著した『建築学大系26 都市計画(彰国社・1964年)』の横山光雄との共著などが著作として残されている。
 生粋の「江戸っ子」として東京を熟知するとともに、気の早さと東京弁のキツさがしばしば「こわい」印象を与えたが、学生思いで面倒見がよく、卒業生の氏名も決して忘れなかった。
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