1882(明治15)年 6月 16 日 |
新潟県南蒲原郡加茂町に生まれる 父 笠原永昌(慎一郎)の三男 |
1904(明治37)年 7月 5日 |
第一高等学校卒業 |
1907(明治40)年 7月 11 日 |
東京帝国大学工科大学建築学科卒業 |
7月 12 日 |
横河工務所技師(工学博士横河民輔建築事務所勤務) |
1910(明治43)年 6月 21 日 |
陸軍技師(陸軍省経理局御用掛兼務) |
1917(大正6)年 4月 6日 |
警視庁技師(建築課長)/警察技師(保安部勤務) |
|
都市研究会結成・メンバーに加わる |
1918(大正7)年 5月 30 日 |
内務省技師(大臣官房都市計画課勤務) |
1919(大正8)年 4月 4日 |
都市計画法(法第三十六号)・市街地建築物法(法第三十七号)公布 |
1920(大正9)年 1月 1日 |
都市計画中央委員会技師(1922 年5月まで/委員長は後藤新平) |
6月 1日 |
日本大学高等工学校設置認可 |
9月 1日 |
日本大学高等工学校開校 |
|
校長 東京帝国大学工学部教授 佐野利器 |
|
土木科長 内務省技師 茂庭忠次郎 |
|
建築科長 内務省技師 笠原敏郎 |
1922(大正11)年 5月 19 日 |
内務省都市計画局第二技術課長 |
1923(大正12)年 9月 1日 |
関東大震災 |
11 月 19 日 |
帝都復興院技師(帝都復興院建築局技術課長兼都市計画局第二技術課長) |
1924(大正13)年 2月 25 日 |
復興局技師(建築部長心得・建築部技術課長 |
6月 20 日 |
復興局建築部長 |
1928(昭和3)年 4月 |
日本大学工学部設立認可(予科2年+学科3年) |
4月 14 日 |
日本大学工学部入学式 |
|
工学部長/理科予科長 佐野利器 |
|
建築学科主任 笠原敏郎 |
|
工学博士(東京帝国大学) |
1929(昭和4)年 11 月 |
日本大学工学部教授 |
1930(昭和5)年 3月 31 日 |
帝都復興事業完成とともに復興局を退官 |
1936(昭和11)年 3月 |
満州国営繕需品局長(のちに建築局長) |
1939(昭和14)年 6月 |
日本大学工学部において、佐野利器工学部長罷免 |
1942(昭和17)年10 月 |
定年により満州国より帰国 |
1943(昭和18)年 |
日本大学工学部(主任)教授 |
1947(昭和22)年 6月 |
日本大学名誉教授 |
1969(昭和44)年 6月 9日 |
船橋の自宅にて肺炎のため逝去 |