笠原敏郎文庫 展示資料紹介(展示コーナー2に展示)
『帝都復興事業誌』
復興事務局
復興事務局


大正12(1923)年9月1日に発生した、関東大震災は死者・行方不明者が10万人を超えたといわれており、東京、横浜に甚大な被害を及ぼした。その復興には帝都復興院(大正12年9月27日設置、大正13年2月25日廃止)と内務省復興局があたり、その技師として帝都復興事業の立案、実施を行ったのが、笠原敏郎博士(建築)や山田博愛博士(土木)である。
帝都復興事業は、関東大震災が発生した大正12年9月から復興事業の完成を祝った「帝都復興祭」が開催された昭和5(1930)年3月26日まで6年7か月の間に実施されている。本書はこの記録をまとめたものである。土木編(上・下)、土地区画整理編、建築編などに分冊されている。
帝都復興事業によって、復興公園、復興橋梁、復興小学校などがつくられ、65地区の土地区画整理事業が実施された。
帝都復興事業は、関東大震災が発生した大正12年9月から復興事業の完成を祝った「帝都復興祭」が開催された昭和5(1930)年3月26日まで6年7か月の間に実施されている。本書はこの記録をまとめたものである。土木編(上・下)、土地区画整理編、建築編などに分冊されている。
帝都復興事業によって、復興公園、復興橋梁、復興小学校などがつくられ、65地区の土地区画整理事業が実施された。
『日本大学七十年の人と歴史』 桜門文化人クラブ編
出版者 東京 : 洋々社, 昭和35年
出版者 東京 : 洋々社, 昭和35年


日本大学の創設から70年間の歩みを記述。
全4巻からなり、第1巻は学祖山田彰義が吉田松陰の松下村塾に入門したころより、大正9年の高等工学校(現在の理工学部)の創設までが収められている。
全4巻からなり、第1巻は学祖山田彰義が吉田松陰の松下村塾に入門したころより、大正9年の高等工学校(現在の理工学部)の創設までが収められている。
『Stadt-Erweiterungen in Technischer; Baupolizeilicher und Wirtschatlicher Beziehung』
Baumeister, R. 1876
Baumeister, R. 1876

19世紀後半、ドイツの多くの都市では、人口集中による都市問題として、賃貸兵舎(Mietskaserne)と呼ばれた過密で公衆衛生上、問題の多い民営賃貸住宅の建設が大きな社会問題となった。また、市街地の急拡大と、土地投機や地価の高騰が問題となった。そのため市街地拡張に対しては、市街地周辺の空地を先行的に取得する政策が取られた。これがドイツの土地公有化政策の始まりである。1900年当時、フランクフルトでは全市域の52.7%、ハノーバーでは37.3%、ライプチッヒでは33.2%の土地を市が保有していたといわれる。これらの都市では不動産局や土地測量局も設置され、積極的な土地政策が展開された。
当時、有力な都市計画学者バウマイスターは、1876年公刊の『都市拡張』※という自著の中で、市街地拡張を自由放任にするのではなく、公的介入をして、単に道路、敷地の整備としてではなく、社会的、経済的政策と関連をとりながら計画的に整備すべきことを主張した。ドイツでは市街地拡張の対策にもっとも注力がなされ、建築線による成果をあげていた。城壁の都市の時代の城壁を囲むように、外側の農地に格子割の街が展開され、道路、広場、公園などが整備された。
当時、有力な都市計画学者バウマイスターは、1876年公刊の『都市拡張』※という自著の中で、市街地拡張を自由放任にするのではなく、公的介入をして、単に道路、敷地の整備としてではなく、社会的、経済的政策と関連をとりながら計画的に整備すべきことを主張した。ドイツでは市街地拡張の対策にもっとも注力がなされ、建築線による成果をあげていた。城壁の都市の時代の城壁を囲むように、外側の農地に格子割の街が展開され、道路、広場、公園などが整備された。
講談社現代新書1932「都市計画の世界史」 日端康雄著、講談社発行、2008.3、PP.269-270より
『東京計画1960 その構造改革の提案』
丹下健三研究室 1961.3
丹下健三研究室 1961.3


丹下健三が1961年に発表した都市計画書。
新建築1961年3月発表の論文に加筆したもの。
この冊子は、東京大学の丹下健三研究室より、笠原敏郎教授に宛てて送付されたものである。
新建築1961年3月発表の論文に加筆したもの。
この冊子は、東京大学の丹下健三研究室より、笠原敏郎教授に宛てて送付されたものである。